浮世絵のドクロ!当時はおしゃれでクールだった?特徴や書き方も!

 

浮世絵にはドクロを描いた作品

が多いのですが・・・

一体、それはなぜでしょう?

 

 

浮世には、現代風や当世、好色

などの意味があります。

 

このような意味から、ドクロは

当時の流行り、おしゃれ、クール、

若者に人気などの意味があったと

思うのです。

 

現代でも一緒ですよね。

個性やおしゃれ、クールの発信は

若者人気からですからね。

 

 

○浮世絵の特徴は?

○浮世絵のドクロはおしゃれでクール!

○浮世絵の書き方講座♪

○浮世絵講座♪

 

以下は、(浮世絵師 歌川国芳と

歌川国貞展!)という動画です。

 

浮世絵の特徴は?

特徴としては、浮世絵じたいが江戸時代に出来た絵画の

新しいジャンルなんですよ。

 

そして、浮世絵の「浮世」という意味には『現代風』や

『当世』や『好色』がありますよ。

 

その当時の特徴である風俗を描く風俗画で、もともとある

大和絵の絵画を受け継ぎ総合的絵画様式としての文化的背

景を保ちます。

 

昔の絵の感じを保ちながら、その一方では人々が毎日普通

に生活しているものから、その当時に目についた物や季節

の物などをたくさん描いています。

 

題材として使われている物は、

「演劇」
「古典文学」
「和歌」
「風俗」
「地域の伝説」
「地域の奇談」
「肖像」
「動かない物」
「風景」
「文明開化」
「皇室」
「宗教」

といったものがたくさんあります。

 

大きく分けると「版本の挿絵」と「木版画」と「肉筆浮世絵」

というふうになります。

 

たくさん作られるようになったのは木版画なんですが、それ

より前には肉筆画だけしかありませんでした。

 

巻物などに描かれている肉筆浮世絵も、肉筆画に含まれてい

るんですよ。

 

そして、肉筆画浮世絵は

「屏風絵」
「絵巻」
「画帳=今だと、スケッチブック」
「掛け物(掛け軸)」
「扇絵」
「絵馬」
「画稿」
「版下絵」

に分けられるんです。

 

浮世絵師と呼ばれる人は、着物と言ってもこの時代は着物

の時代なんです。

 

和装本の挿絵だったり、表紙にも書いたりする仕事も同時

に行っていました。

 

そして、

「引き札」
「泥絵」
「ガラス絵」
「凧絵」
「ねぶた絵」

なども浮世絵の仲間なんです。

 

今現代での一般的な多色ずりになっている、「木版画錦絵」が

浮世絵としての特徴となっていることが多いようですね。

 

浮世絵のドクロはおしゃれでクール!

浮世絵に描かれているドクロって、凄くリアルな感じを

感じませんか?

 

なぜこんなに、ドクロを描いている浮世絵が多いのでしょ

うか?

 

浮世絵の意味には、現芸風、当世という意味があります。

そう、ドクロは当時のおしゃれ、クールでかっこいい、

若者に人気、みたいな雰囲気があったのでは?

 

だからこんなにドクロの浮世絵があるんじゃないかな?

 

浮世絵のドクロは本当に目の前にお手本となる、ドクロが

あってそれを見ながら描いたような見ていて怖さを感じました。

 

もしかしたら、ドクロを描きたいがために亡くなった人の

顔の皮膚やお肉を剥がして、それを見て描いたんじゃない

かと…まぁ、ありえないでしょうけどね。

 

もしそれが本当だとするなら、恐ろしい世の中だったという

ことになりますね。

 

浮世絵師の歌川国芳さんが描いたドクロの作品は、

「相馬の古内裏」でこれは1840年の半ば頃の有名な作品です。

 

「於岩ぼうこん」も歌川国芳さんの作品ですが、四谷街道で有名

な於岩さんを描いた物らしく、その於岩さんの後ろにドクロがい

るんです。

 

次の浮世絵師は、葛飾北斎さんで作品は「百物語 こはだ小平次」

は江戸時代の作品に登場する一部を切り取って描かれたドクロです。

 

歌川国芳さんと比べると、愛嬌があるような感じがするドクロですね。

 

次の浮世絵師は、小林清親さんで作品は「地獄太夫」で3枚で1つ

の絵となっています。

 

真ん中には女性が描かれており、両横にはドクロが描かれていると

いう形になっていて、ドクロは真ん中の女性を見つめています。

 

そして、手ぬぐいを頭にかぶったドクロと、真ん中の女性はお囃子

に合わせ踊っているというところを表現しているため怖い感じはし

ませんね。

 

左側のドクロは、その踊りを見に来ているお客さんを表している

ため、手元あたりには食事の食器などがあります。

 

またここで登場するのが、「国芳もやう正札附現金男 野晒悟助」は

歌川国芳さんの作品で、野晒悟助が着ている着物の柄がドクロです。

 

「骸骨2人がピクニック」は、浮世絵師は誰かわからないですね。

 

次の浮世絵師は、河鍋暁斎さんで作品は「美女の袖を引く骸骨たち」

では、ドクロが2人おり美女が欲しいと言わんばかりに袖を引いて

います。

 

それだけでなく、たくさんのドクロが美女の周りにいたり、遠くから

来ていますね。

 

「骸骨の茶の湯」も河鍋暁斎さんの作品で、3人のドクロが楽しげ

な感じがしますね。

 

またまた、歌川国芳さんの作品「源頼光公館土蜘作妖怪図」で、

ドクロもたくさん描かれていますし、妖怪も描かれていますね。

 

次の浮世絵師は、竹内栖鳳さんの作品「絹本著色 観花」は、色気

があるようなドクロです。

 

次の浮世絵師は、前にも書いた小林清親さんで「清親放痴 東京谷中

天王地」では、面白いドクロですね。

 

次の浮世絵のは、月岡芳年さんの作品は「新撰東錦絵 一休地獄太夫」

では、一休が竹の棒にドクロを刺して太夫に近づけていますね。

 

「新形三十六怪撰 地獄太夫悟道の図」は、月岡芳年さんの作品で、

太夫の奥にドクロが何人かいますね。

 

河鍋暁斎さんの作品で、「一休地獄太夫」は大きなドクロの上に

一休が乗っているのが凄いと感じましたね。

 

次の浮世絵師は、歌川広重さんの作品で「平清盛福原にて怪異を

見る図」では、平清盛の武士の怨霊がドクロとして襲い掛かって

きているというところを表しています。

 

月岡芳年さんの作品で、「和漢豪気揃 髑髏」では、面白い

雰囲気を感じましたね。

 

「15人の髑髏(仮)」という作品ですが、誰が描いたのかわか

らない謎の作品なんですよ。

 

15人のドクロがそれぞれ思い思いのことを、しているという何

とも人間味溢れたドクロ達ですよね。

 

「月下竹林骸骨行之図」という作品ですが、こちらも誰が描いた

ものかわからないですね。

 

ゾッとするような表情を見せている、ドクロはこれから亡くなった

人のために灯籠でも流すために持っているのでしょうか。

 

河鍋暁斎さんの作品で「髑髏と蜥蜴」では、ドクロが怖い感じがし

ますし、目から蜥蜴が出てきているんですよ。

 

次の浮世絵師は、伊藤若沖さんの作品で「野晒図」では伊藤さんが

描いたドクロは珍しいんですよ。

 

次の浮世絵師は、勝川春章さんの作品で「岩井半四郎と市川団十郎」

では、その当時に浮世絵とは雰囲気が違っているんですよ。

 

浮世絵の書き方講座♪

浮世絵の書き方としては、絵師の人が墨のみで「版下絵」を

紙に書きます。

 

人でも風景でも、何でも良いですが紙に下絵を書きます。

 

絵師の絵が書きあがったら、彫師の番になります。

 

彫師の番になる前に、地本問屋にチェックしてもらわないと

完成するところまでいきません。

 

チェック内容としては、「公序良俗違反していないか」とか

「幕府を批判するような内容ではないか」それ以外にも、

細かいチェック項目があります。

 

そして、そこで問題がないと認めてもらえれば「極印」か「改印」

のどちらか許可の印が下絵に押されやっと彫師の元に渡ります。

 

合格した下絵はそのまま、「木版」に貼り付けますよ。

 

そして、下絵の線のみ残して紙ごと板を掘ります。

 

「墨版」が出来上がると、そこに墨を塗り数枚摺られます。

 

摺り上がった物は、もちろん下絵と同じものになります。

 

摺り上がった絵を、もう一度絵師の元に返されます。

 

返されたら、色付けしていきますからね。

 

どこにどの色を付けるのかが、完成したらもう一度彫師に渡ります。

 

次は、色を付けるために「色版」を作る作業へと移ります。

 

使う色の数の分だけ、板を用意しますよ。

 

そして、1つの絵を完成させるために重ねて摺っていかなければな

りません。

 

同じ色のパーツごとに、色版を掘っていきますよ。

 

彫上がると摺ることになりますが、ここで注意する点は重ね摺りする

際はずれてしまわないようにすることです。

 

ずれてしまうと、1枚の浮世絵になりませんから慎重に1枚ずつ重ね

摺りされますよ。

 

そして、慎重に重ね摺りされ1枚の浮世絵が完成しますよ。

 

浮世絵講座♪

これは、知っている人が多いと思うんですが、

「歌川国芳 スカイツリーの絵」という感じでグーグル

で検索するというものです。

 

そうすると、浮世絵師の歌川国芳さんが昔にスカイツリーの絵を

描いていたということなんですよね。

 

そして、スカイツリーの絵と同じ場所に、スカイツリーができて

いるって凄いことですよね。

 

浮世絵師は、1550年代から1673年までには、5人くらい

しかいませんでした。

 

その1673年以降になってくると数え切れないほど浮世絵師が

たくさんいましたよ。