西陣織の特徴!その歴史は500年以上!始まりは1500年以上前!

 

西陣織の特徴について調べてみました。

その歴史はなんと500年以上!

始まりは西暦1467年からなんですって。

 

 

しかも、西陣織というブランドが盛んになる前

から、その地域では織物が伝えられていて・・・

 

それを遡ると5世紀!

とういうことは1500年くらい前から?

すさまじい歴史ですね。

 

これは伝統工芸というより、すでに国宝なのでは

ないでしょうか?

 

国宝級の特徴と歴史の西陣織について調べてみま

したのでご覧ください。

 

 

〇西陣織の特徴は?

〇西陣織の歴史は?

○西陣織のその他は(品種)?

○西陣織の値段はどれくらい?

○西陣織会館について

○西陣織にもアイフォンケース?

 

 

以下は、(西陣織について

勉強したいから、いろいろ

と教えて!)という動画です。

 

 

西陣織の特徴は?

西陣織の特徴としては、そもそも西陣織の西陣は

京都府京都市街西北の方の地域で作られているも

のです。

 

高級な絹の織物の総称なんですよ。

 

これといった特定の織物を意味しているわけではな

く、西陣で作られる織物としての種類はたくさんあ

りますよ。

 

そして、西陣は世界の中でまれな織物の産地としても

有名です。

 

たくさんある名品と呼ばれる作品を織り出しており、

いつも日本の紋織技術を引っ張っている。

 

過去1千年以上にわたり、織物を長く織り続けている

産地は西陣以外ないと言っても良いでしょう。

 

京都だからこそ、西陣は町じたいとともに繁栄してき

たということです。

 

縦と横の糸が直角に交わっていて、模様や風合いを

織りなす生地を織物の定義となります。

 

ですが、西陣の特徴しては糸を先に染めてから織って、

柄を表現するというジャガード織というものが西陣で

は主流の技法です。

 

そして、色鮮やかで柄が可愛らしい物で、柄はお花や

蝶々や鳳凰といったものや、可愛い子供の柄などがあ

ります。

 

西陣織の歴史は?

西陣織の歴史としては、室町時代に遡りますよ。

 

西暦1467年の応仁元年には、西陣織の始まりです。

 

10年後の77年の文明9年には、京都に機業が盛ん

になります。

 

西暦1504年の永正元年には、京都機業の勢いが

盛んになってきます。

 

そして、大舎人方と白雲村練貫方というものが、

西陣織にはできます。

 

10年後の14年の永正11年には、大舎人方と

練貫方が別れ対立して争いが始まってしまいます。

 

西暦1548年の天文17年には、大舎人座31家は

足利家より西陣織の特権と保護を与えてもらえます。

 

西暦1555年の弘治元年には、西陣の新しい紋織な

どがここで始まります。

 

西暦1571年の元亀2年には、大舎人座31家の中

の6家に内蔵寮織物司の刺繍の許可を受ける。

 

西暦1582年の天正10年には、西陣で織物の織り

方が活発化されて大舎人方紗織が始まる。

 

3年後の85年の天正13年には、豊臣秀吉が企業緒

を保護し励ましてくれたおかげで、西陣はどんどん盛

んになってきます。

 

西暦1597年の慶長2年には、西陣俵屋某が明から

来た綿に中世以来の浮織技術を加えて唐織を製織にし

ます。

 

そして、西陣野本某は堺より金襴製織法を習い自分達

のものとし、紗や紋紗や金紋紗の製織法も同じく堺か

ら伝わってきて、製織の西陣綸子を明の織法を習い始

めます。

 

西暦1651年の慶安4年には、京都に織工ビロード

を織り出します。

 

8年後の59年の万治2年には、西陣唐糸が高くなっ

たのに際して、幕府の保護を受ける。

 

西暦1683年の天和3年には、明の織法で琥珀を

織り始める。

 

5年後の88年の元禄元年には、染織技術が発達して、

高級織物の需要が増えてきたため、西陣は大機業地に

発展します。

 

10年後の98年の元禄11年には、西陣唐糸の輸入

が制限され、高くなってしまいます。

 

西暦1702年の元禄15年には、西陣織の売買が

途絶えてしまうため、機業家は困ってしまいます。

 

翌年の03年の元禄16年には、西陣織屋160あまり

の町へと大機業地に発展します。

 

3年後の06年の宝永3年には、西陣は西陣組という

機業団体を作り団結します。

 

西暦1714年の正徳4年には、機屋が倒産したため

国産糸の兼用を幕府が命じます。

 

6年後の20年の享保5年には、西陣織工江戸城の中、

吹上の織殿に招待されます。

 

10年後の30年の享保15年には、その年の6月に

西陣が大火事にあい108もの町が焼けてしまいます。

 

織機7千あまりあった内の約半分近くの3千あまりの

ものが焼け失ってしまいます。

 

14年後の44年の延享2年には、西陣高機織屋が

7組仲ヶ間が成立します。

 

西暦1788年の天明8年には、京都が大火事にあい

西陣のほとんどが全部燃えてしまいます。

 

そのために、この時に一度西陣は途絶えてしまいます。

 

西暦1800年の寛政12年には、西陣機業が

復活します。

 

17年後の17年の文化14年には、西陣高機織屋の

奉公人取究所ができます。

 

20年後の37年の天保8年には、全国で糸や綿など

ができなくて、西陣も不況になり休むことが多くなり

ます。

 

2年後の39年の天保10年には、西陣は材料の糸が

高くなり悩んでしまいます。

 

2年後の41年の天保12年には、西陣はいろいろと

災難などが続いてしまい染め織もできなくなってきます。

 

翌年の42年の天保13年には、西陣織屋仲ヶ間は

解散することになります。

 

西暦1853年の嘉永6年には、西陣高機8組で

仲ヶ間をもう一度成立させる。

 

西暦1869年の明治2年には、西陣物産会社設立

します。

 

西暦1872年の明治5年には、西陣の技術者佐倉さん

と井上さんと吉田さん、合計3人をフランスへ派遣して

新しい織物の技法を習得させる。

 

5年後の77年の明治10年には、西陣織物会社設立

します。

 

西暦1882年の明治15年には、西陣共進織物会社

設立します。

 

翌年の83年の明治16年には、西陣にて織物工業組合

を組織をします。

 

4年後の87年の明治20年には、西陣織物市場は評判

が悪かったため休むことになります。

 

翌年の88年の明治21年には、西陣織物会社設立

します。

 

西暦1892年の明治25年には、西陣織物製造組合

を組織し、西陣織物図案を発行します。

 

2年後の94年の明治27年には、西陣でネクタイを

織って製造されます。

 

6年後の1900年の明治33年には、西陣の一般的

な紋織はほとんどがジャガード織に移っていきます。

 

15年後の15年の大正4年には、西陣織物館が

開きます。

 

3年後の18年の大正7年には、最初の西陣織物

競技会を行います。

 

西暦1933年の昭和8年には、西陣織物同業組合

から分かれ、独立したものが西陣着尺織物工業組合

を作る。

 

3年後の36年の昭和11年には、西陣天鵞織工業

組合ができる。

 

2年後の38年の昭和13年には、西陣織物工業組合

を作られ、西陣織物同業組合40年ほどの華々しい

活動の歴史の幕をここで閉じてしまいます。

 

西陣で軍の製品を作り始めます。

 

翌年の39年の昭和14年には、西陣の奉公人制度

を無くします。

 

翌年の40年の昭和15年には、七七禁止令が公布され、

西陣は大きなショックを受けることになります。

 

西陣織物価格査定委員会ができ、西陣織物物産業報国

連合会ができます。

 

翌年の41年の昭和16年には、西陣織物館を閉める

ことになり、織物査定工場として使われます。

 

2年後の43年の昭和18年には、西陣織物工業組合

帯地部陸軍省からの発注で宮城の図性織をします。

 

翌年の44年の昭和19年には、西陣織物統制組合が

でき、今まであった西陣織物工業組合や西陣着尺織物

工業組合は解散することになります。

 

陸軍から発注される軍用微章を、西陣織物統制組合で

織って製造することになります。

 

翌年の45年の昭和20年には、西陣地区に爆弾が落と

されたため、強制的に疎開しなければならなくなります。

 

西陣織のその他は(品種)?

西陣織のその他の品種は、12種類ありますよ。

 

「綴」と「経錦」

「緯錦」と「緞子」

「朱珍」と「紹巴」

「風通」と「綟り織」

「本しぼ織り」と「ビロード」

「絣織」

「紬」

なんですよ。

 

西陣織の値段はどれくらい?

西陣織の着物の帯の値段で、安い物で

「2万9800円」があります。

 

西陣織のポケットチーフの値段で、

安い物で「4320円」があります。

 

西陣織の根付けの値段で、安い物で

「1069円」があります。

 

西陣織のガマ口の小物入れで、安い物で

「540円」があります。

 

西陣織のポーチの値段で、安い物で

「1200円」があります。

 

西陣織会館について

次は、西陣織の会館についていろいろと書いて

いきますからね。

 

「西陣織会館」へのアクセス方法は、市バスで

行くのなら『堀川今出川』で降りますよ。

 

京都駅の正面からだと、9番で歩いて25分で

着きます。

 

三条京阪からだと、12番と51番と59番で、

歩いて20分くらいで着きます。

 

四条河原町からだと、12番で歩いて20分くら

いで着きます。

 

四条鳥丸からだと、12番で歩いて15分くらい

で着きます。

 

四条大宮からだと、201番で歩いて20分くらい

で着きます。

 

次は、地下鉄なら「鳥丸線」を使って『鳥丸今出川』

で降り、7分くらいで着きます。

 

次は、タクシーに乗ってだと「京都駅」からだと、

10分くらいで着きます。

 

次は、自家用車で向かいたい人のために嬉しい、

駐車場がありますよ。

 

普通車なら料金は、

30分ごとで150円

マイクロバスなら料金は、1500円

大型バスなら料金は、2500円

となっていますよ。

 

西陣織会館でできる体験があります。

 

「創作体験」があるんですが、内容としては

『手織体験』

『マフラー制作体験』

『まゆクラフト体験』

『手作りアカデミー』

など、体験しようと思ったら先に予約が必要ですよ。

 

西陣織会館を見たい人のために、URLを載せて

おきますね。

→西陣織会館はコチラ

 

 

西陣織会館に行って、近くで食事や小腹を満たせる

お店を何店舗か紹介しておきますね。

 

 

西陣織と言えば、着物が有名なので西陣織会館では

きものショーがあり、見れる場所は3階になりますよ。

 

きものショーは、1日に6回ありますので時間内なら

必ず見ることができますね。

1回目の時間:午前10時半

2回目:午前11時半

3回目:午後1時

4回目:午後2時

5回目:午後3時

6回目:午後4時

 

西陣織会館の営業時間としては、

「午前10時から午後6時まで」

となっています。

 

もちろん、西陣織会館の中にも食事できるところは

ありますが、団体様のためなので必ず予約してくだ

さいね。

 

西陣織会館でお土産として、着物やネクタイ、バッグ

や小物、インテリアやそれ以外にも買うことができま

すよ。

 

十二単を体験したい人もいるかもしれませんが、

予約が必要となりますよ。

 

 

西陣織会館のカルチャースクールもあって、ダンス

レッスンや姿勢美人になれたり、絵も描くことがで

きるんですよ。

 

 

西陣織にもアイフォンケース?

西陣織には、アイフォンケースがあるんですよ。